中庸とは
【中庸】という言葉を、和英辞典で調べますと、
moderation,mean, mediumと訳されています。
しかし、「足して二で割る」ということが、本来の
中庸の意味でしょうか?
今日、「若手」経営者を中心とする「論語と算盤」の
勉強会で、このような議論になりました
私の論語の師匠によると、【中】は、まさに真ん中に
串を刺すようなこと。そして【庸】は、続けるという意味
があるようです。つまり、私なりに解釈すると、中庸は、
単に「平均的」ということだけではなく「持続性」の意味も
含まれている。
「中心が不在な時柄の場合には、【中庸】自体がないことも
ある。孔子は、そのような場合には、【中庸】がない状況・
社会構造そのものを壊してしまい、新たに中心ある社会
構造を作り出せばよいとして、【中庸】の延長線上に
【革命】をも位置づけている。」と、本日のディスカッション・
リーダーが指摘しました。これは面白いですね。
ある意味で、日本社会は【中庸】的な社会を築くことができた
という考えがあるかもしれません。だから【革命】が起こらない
のか。しかし、いまの日本の【中庸】は、「平均的、平等的」
という次元に留まっている感じがします。日本社会に本当の
【中庸】があるのでしょうか。
例えば、今回の株主総会はどうでしたかと、隣に座っていた
創業者権経営者にお聞きしたところ、かなり大変だったと。
議題の質疑の度に、同じ質問者から、なぜ、総会に出向いた
のに、お土産が用意されていないのかと、質問の繰り返しが
あったようです。
残念ながら、日本の個人投資家の【中庸】は、経営者側から
見えないようです。それとも、そもそも、それが存在しないので、
【革命】が必要なのか。いろいろと考えさせられる意義ある
勉強会でした。