本来のカタチ
「形式」というと、人の感情などを排除したルールという
イメージがあります。
また、「型」というとスポーツや芸道などで規範とされる
一定の体制や動作のことを示します。
しかし、型(カタ)に、人の血(チ)が入ると形(カタチ)になる。
茶道家のご指摘だったので、まさにカタチになり、印象に
残りました。
ただ、カタだけに頼ってしまい、そこに人の感情や想いが
「無ければ」、傾(カタム)いて、ひっくり返ってしまう恐れが
高まるのでしょうね。
また、茶道家の言う「侘び」とは、さびしいとか心細いという
概念ではなく、
・陰から陽へ向かうこころの動き、
・常に前向きである不動のこころ、
・何事にも動じないこころ、
ということらしいです。
「サラリーマンだから」、「農耕民族だから」、「○○○だから」
という型にはまった、わびしい発言に、血を注いで、前向きな
姿勢にすることが、本来のカタチと侘びなんでしょう。