私はピケティさんの「21世紀の資本」を読んでなく、経済学者でもないので、的外れな
ことかもしれませんが、課税強化という政府介入で富の再分配することは、人々の
幸せにつながるんでしょうか。
私の理解だと、ピケティさんの分析によると、資本収益率(r)が経済成長率(g)を
上回る状態は富は「資本家」へ蓄積させる。これを、特に日本社会が好む文脈に
落とすと、資本主義は「格差社会」を生むということ。
でも、そもそも、ここでいう「資本収益率」と「経済成長率」とは何か。
資本収益率は利潤、配当金、利息、貸出料など「資本」から生じる収入。そして、
経済成長率は(GDPと思っていましたが)、どうやら給与所得の成長のようです。
そもそも、どうやって、このようなデータを200年分も正確に集計できたのか
わかりませんが、それは本に書いてあるのかもしれないので、さておき。
確かに給与所得の成長があれば、うれしいです。うれしければ、当然ながら、
幸福感を感じます。
しかしながら、別に、配当金や金利、または利潤(投資によるキャピタルゲイン)
という所得であっても、同様に幸福感を感じると思います。
もし、一般市民が給与所得だけに限られていて、資本から生じる所得を手に
入れるのは一部の資本家層だけであれば、それはまさに不満を呼ぶ格差です。
でも、200年前は、それが社会的な現実だったかもしれませんが、21世紀では、
一般市民も投資できます。つまり、サラリーマンのような「労働者階級」も「プチ
資本家」になれるんです。 de petit capitalist ですね。
また、投資から生じる資本収益率が、給与所得という経済成長率より高いことは
当たり前の話であり、好ましい状態であるともいえます。
だって、給与所得が毎年成長するという年功上列的な状態の方が高ければ、
人々はただ、ことなかれように仕事するだけ。
これは、ある意味で、自然界から借りている自分の人生の時間を、お金を得る
ために仕事をしていることと同じかもしれません。嫌な仕事でも、辛い仕事でも、
やりがいがない仕事でも、給与所得率が高いのでれば、その職に残ることが
経済的合理性になってしまいます。
一方、資本収益率を高めることを求める投資は、未来に向けて、あのように
なってほしい、このようになってほしいという志向があります。このような志向が
なければ、新しいものは生まれない、イノベーションはない。
あのようになってほしいと思って、それが、なったら、それは幸せですよね。
、「格差」が悪いのではなく、「格差の固定化」が悪い状態だと思います。
これは、ピケティさんも言っていることだと理解しています。
人類の史上、様々な争いが耐えない根底には、格差の固定化という状態の
絶望のもがきだと思います。
格差を広めたり、縮めたりするのが「イノベーションです。
つまり、イノベーションがない社会は格差の広がり、縮まりがない状態は
呼吸が停止している身体と同じです。 そして、呼吸しない身体は、いずれ・・・
資本主義は、人類のイノベーションです。
個々が自分の夢を成し遂げるには、「仲間」という資本は絶対必要です。
一人じゃ、何もできないからですね。また、「信用」という資本がなければ、
仲間たちは集まってこない。
これは、事業の運営のために必要な「お金」という仲間たちにも同じことが
言えます。
だから、一般的に言われている(これは、ピケティさんご本人の意図ではない
のかもしれませんが)、「一部の資本家が楽をして、多くの労働者階級が苦労
する」ことが資本主義という解釈が、どうしても腑に落ちません。
多くの夢を実現させるために、政府に増税させて、富を再分配する・・・?
そんなことで、幸せな社会になるんでしょうか。
資本主義とは、そもそも、私たちの未来をつくるものだと思います。
その資本主義の使い方、表現の仕方が問われているんでしょう。
それは、資本主義が悪いのではない。
ピケティさんは、富が公平に分配されないことによって、社会や経済が不安定
となるということをご指摘されているようです。でも、これは21世紀の資本の
問題定義に限られてことではなく、20世紀初期に出版されている「論語と
算盤」でも同じことが指摘されてます。
『その経営者一人がいかに大富豪になっても、そのために社会の多数が
貧困に陥るようなことでは、その幸福は継続されない』
【算盤と権利 - 合理的の経営】
この格差を是正するために、累進課税の富裕税を世界的に導入することを
ピケティさんは提案してます。
栄一が提唱したのは、智情意をもって、常識な人になって、民間力を高めること。
二人とも直接会ったことがない人物ですが、同じ社会的課題について、異なる
解決策を提唱したと思います。